院長のプロフィール

趣味/特技
スキー、映画鑑賞、マリンスポーツ

食の好み
肉はあまり食べず天津飯やパスタやラーメンを好む。酒豪。

色んなものに没頭した幼少時代

昭和43年 青森出身の父と京都出身の母との間で福井市に生まれる。幼少期は母が入・退院を繰り返していた為、父の仕事の都合上、保育園には一番早く来園、そして一番遅く退園していたので先生や用務員の方たちから個別に可愛がられて他人の厚い人情を数多く受けて育つ。そのおかげで人見知りを一切しない愛想の良い子供になる。小学校の時には左利きが功を奏し「巨人の星」も流行っていたせいか、少年野球に明け暮れるが、守備でも打順でも「待つ」事が大嫌いな性格が災いし、低学年で退部。高学年では運動の辛さからしばし、逃れたかった為、模型製作やイラスト、絵画、漫画執筆など文化系に没頭。もともと工作が大の苦手であったが手先の不器用さをこの時から克服。

地元や雑誌の模型コンテストで入賞や優勝を繰り返し、自称「景品キラー」になる。小学生のくせに景品のひとつである「エアブラシ」などの模型工具を多数所持。親に私が悪いことをしているのではないか?と疑われたが、すべて景品。また、「コカ・コーラ ヨーヨー―」が大ブレイク。いずれも僅かな差で二度優勝。なぜか学校の勉強に関係ないことに関しては人より没頭し、ある程度は極めてしまう自分を自覚していく。

部活がハードな中学生活

中学では、バスケットボールに没頭。入学した中学は地元ではかなりスポーツが強い中学で特に「バスケット」「バドミントン」では県下はおろか、地方でも名をとどろかしていた。これまた左利きが災いして顧問の先生、スターティングメンバーの先輩から期待をかけられ、新入部員42名のうち、右からのランニングシュート練習に41入がゲラゲラと1人ずつ練習するに対して、私ひとりは左からのランニングシュート練習。他3年生が5人のみ、2年生が2人付いて「鬼」のような特訓を毎日強いられる。この特訓のおかげで学校主催の「球技大会」種目は勿論「バスケ」では「ヒーロー」に。部で全学年を交えたフリースロー大会では3位。先輩メンバー5人相手に新入部員3入でシュートを決めなくてはいけない、これまた「鬼」のような練習試合で「玉砕」または「潰される」者が続出する中、ただ一人ネットのバックボード裏からのマジックのようなシュートを決めて体育館を沸かす。

だが、成長期と猛練習に明け暮れていた為、食べる量が半端ではなく、暴飲暴食による「胃潰瘍」をわずらい、バスケット生命に終止符が打たれる。このときの大食漠と部活動により身長が143センチしかなかった一年坊がたった9ヶ月で160センチに成長。脚がバキバキと伸びていくのが解るほどであった。

高校生活から就職へ

その後 中学の美術の先生に課題であった作品を認められて美術系への進学を勧められる。思いもしない専攻に家族で戸惑ったが、進言を受け止めて「美術」を学ぶ学校へ。だが期待とは裏腹にこの学校で「上には上がいる」ことを痛感。美術の大学へは進学せず人生に「箔」を付けたいと強く思い、全く畑違いの「陸上自衛隊」へ志願。第二新卒募集が終了していたにもかかわらず、私の熟い思いを面接でぶつけて「内定」を頂く。また他県での生活も体験したかったため心配する両親のもとを離れ、三重県の訓練部隊に3ヶ月配属。その後都会の生活も経験したかった為「名古屋」に転属。

父親の手伝いのため帰郷

父親が起業して起動に来るかどうかの時に社員が辞めて大変だという話を名古屋で間いた途端、帰郷を決意。自衛隊の友人、先輩、上司に可愛がられながら生きがいを感じていた特殊国家公務員生活を送りながらもあっさり除隊。父親と私一人で地元基盤も人間関係も皆無に等しい中、商品開発と素人な営業を繰り返し、同業社を蹴散らすことなく、仲良くしながら仕事の幅を広げていく。兼ねてから商品開発に定評があった父親がヒット商品を連発。その包装デザインをした私はこれで美術校の恩返しをしたと勝手に思い込み、自負する(笑)。

ストレス解消のために始めたスポーツ

起業して成功した父親を人生の勝者として羨ましく思い、このころから起業に対して強く思いを馳せるが、何をしていいか全く方向性を見出せず、現状に甘んじる。従業員が増え、同時に対人ストレスも増えていくなか、何かスポーツで発散したいと思い、当時流行っていた「スキー」を始める。空手も好きで自衛隊に入る前からしていたが、華やかなスポーツもしたかったのが理由。

しかし初シーズン、こけまくり、リフト上からは笑われ、連れて行ってくれた先輩からは大駄目出しを浴びせられ、屈辱の一年となるが、生来の負けず嫌いが燃え上がり、誰にも教わることなく練習、イメトレを続け数年後には当時まだメジャーではなかったモーグルスキーヤーに。スキー場で目立つ為におこなうエア技(ジャンプ)で他のスキーヤーや仲間を魅了。実はパトロールには内緒でジャンプ台を構築してプロのビデオの見よう見まねで練習していた。

激しいスポーツにより身体を痛める

起業して成功した父親を人生の勝者として羨ましく思い、このころから起業に対して強く思いを馳せるが、何をしていいか全く方向性を見出せず、現状に甘んじる。従業員が増え、同時に対人ストレスも増えていくなか、何かスポーツで発散したいと思い、当時流行っていた「スキー」を始める。空手も好きで自衛隊に入る前からしていたが、華やかなスポーツもしたかったのが理由。

しかし初シーズン、こけまくり、リフト上からは笑われ、連れて行ってくれた先輩からは大駄目出しを浴びせられ、屈辱の一年となるが、生来の負けず嫌いが燃え上がり、誰にも教わることなく練習、イメトレを続け数年後には当時まだメジャーではなかったモーグルスキーヤーに。スキー場で目立つ為におこなうエア技(ジャンプ)で他のスキーヤーや仲間を魅了。実はパトロールには内緒でジャンプ台を構築してプロのビデオの見よう見まねで練習していた。

今の整体術との出会い〜開業の道へ

通院、リハビリの毎日を数年間送っていくうちにある時、偶然今の整体術に遭遇。手品のように激痛が取れて他の悪いところも良くなっていくこの施術に感動し、厳しい修行を2年、更に4年間の歳月と数千人の体を経験させて頂いて開業。

現在に至る。

当院の紹介

代表 工藤 一晃
所在地 〒918-8058 福井市加茂緑苑町208-2
予約受付 施術希望日の前日17時まで
予約専用ダイヤル 9:00〜17:00/090-1391-6060
18:00〜20:00/0776-35-3200
営業 月曜〜金曜/9:00〜12:00 /15:00~20:00
土曜/9:00〜18:00 日曜・祝祭日/定休日
※当院は完全予約制ですのでご注意ください。